さてと。俺は鏡台の前で寝癖が無いかチェックする。普段はリットが使う鏡台だが、今日リットはここにいない。
「大丈夫……だよな」
鏡に写っているのは、少し表情がこわばっている俺の顔だ。俺は腰に佩いた剣の柄に手を置き、一度深呼吸した。大きく息を吸い、胸にある痛いほどの緊張を吐き出す。
「レッド兄ちゃん、いつまでやってるのさ」
部屋を覗き込んだタンタが呆れた様子で俺に声をかけてきた。
「今更リットさんとデートするってだけで何をビクついてるのさ」
つまりは、そうなのだ。今日はタンタに店番させて、俺とリットは一日デートをするということになっている。
一昨日タンタに夕食をごちそうしてた時、タンタの友達が女の子とデートをしたという話になった。本人達は恥ずかしがって隠していたようだが、そういう下世話な話が好きなのがこの下町の住人達。翌日には下町のおばさん達が、「んまぁ!」と噂しあっていた。
その流れでタンタが「レッド兄ちゃんとリットさんのデートってどこに行くの?」と質問をぶつけてきたのだ。俺とリットは顔を見合わせ、そういえばデートらしいデートをしたことが無かったことに気が付き、そして、
「明後日デートしようよ!」
と、リットが俺の肩を掴んで揺さぶりながら言ってきたのだった。
☆☆
1時間後。
俺は待ち合わせしている広場へ向かっていた。待ち合わせてデートをしたいというリットの要望により、昨日リットは自分の屋敷で一晩過ごし、広場で合流するという予定なった。なんとなく気持ちは分かる。
約束の時間まではまだ30分近くあるが、何が起こるかわからない。もしかしたら魔王軍の四天王が空から降ってきて約束の時間にたどり着けなく可能性だってある。
「あっ」「えっ」
俺が広場についた時、ちょうどリットが反対側の入り口から歩いてくるのが見えた。俺たちはお互いに駆け寄って、中央の石碑のところで合流する。
「ずいぶん早いね」
「リットもだろ?」
「いや、ほら、魔王が降ってきて遅れるかも知れないし」
俺は思わず吹き出した。
「俺も似たようなこと考えてた。四天王が降ってくるかもって」
リットの表情がぱっと輝き、慌てて口元をバンダナで隠し、そして俺も一緒になって2人で笑いあったのだった。
俺はリットと手をつなぎ、北区の麦畑(むぎばたけ)の間の道を歩く。空には青空が広がり、白い雲の影が麦畑を泳いでいた。風がそよぐと、黄金色に染まった麦が揺れ、輝く波のように広がる。
ようやくゾルタンの蒸し暑い夏が終りを迎え、頬を撫でる風は爽やかで心地良い。
「今日はいい天気だな」
「……うん」
ん? なんだかさっきからリットが大人しい。すっと、つないでいた右手からリットの指が抜けた。
振り返ろうとした瞬間、ふにっという柔らかい感触が腕を包み込む。
「腕組んで歩こうよ!」
リットが笑顔で、そして顔を真っ赤にしながらそう言った。
腕に当たる感触は押し当てられたリットの胸によるものだった。その柔らかい感触は、高揚と共に不思議と安心感を与えてくれ、いつまでもこうしていたいという気持ちを俺は感じていた。
「あ、ああ、もちろんいいよ」
もちろん、俺とリットが2人で歩くのはこれが初めてではない。よく一緒に買物に行くし、ゾルタンの下町を散歩したりもする。だが、デートは初めてなのだ。やっていることはいつもと変わらなくても、そこにデートという目的が加わるだけで、リットと一緒に、何度も見た光景が新鮮に映るのだから不思議だ。というか、なんか気恥ずかしい。
リットも平常心でいようとしているようだが、耳まで赤くなっていた。
「そうだ、ちょっと屋台に寄っていこうぜ」
「屋台?」
「ああ、冒険者が利用するちょっと隠れ気味の屋台があるんだ」
隠れ気味という言葉にリットは少し首を傾げた。だが俺の顔を見ると、ニコリと笑い一緒に歩き出す。
その店は、北区の住宅が並ぶ通りにあった。
「いらっしゃい」
牙の飛び出した口を大きく歪めて笑うのはハーフオーク。髪のない頭から汗が滴り落ちないようタオルを巻き、発達した大胸筋で分厚い胸板にピチピチのエプロンを身につけている。
「なんだレッドさんか。最近来てくれなかったから、こちとら商売上がったりでしたよ」
「そいつは悪かった。冒険者を休業してから、北区(こっち)にはあまり足を運ばなくなったからなぁ。今日は久しぶりに食べに来たよ」
「そいつはありがたいこって。ところで腕を組んでるお嬢さんはもしかして」
リットはその可愛くも勝ち気な顔に上品さを感じさせる笑みを浮かべた。
「レッドのお店で一緒に働いているリットよ」
「へぇやっぱり英雄リットがレッドと一緒になったってのは本当だったんですねぇ。すげぇじゃないですか」
「それほどでもある」
俺は胸を張って言った。リットと一緒になるというのはそれだけの価値がある。俺はリットに関しては謙遜しないと決めている。
「というわけで、最高の彼女に最高の屋台料理を食べさせに来たってわけさ」
「えへへ」
流石にリットは照れたようで、俺の腕の後ろに顔を隠して、口元に浮かぶニヤケ笑いを隠していた。
「はぁー、ごちそうさまで。しかし、いいんですか? デートに俺の店って。普通中央区のお洒落なスイーツでも食べに行くもんじゃ? 北区でも「料理人』の加護持ちの娘がやってる店。あそこが最近、可愛くてお洒落な料理をやりはじめたらしいですよ」
「まぁそれもそうなんだが……俺は俺が美味しいと思ったものをリットに食べさせたかったんだ」
「そんなら気合い入れて作りますかね」
ハーフオークの店主は強面の顔に嬉しそうな笑みを浮かべると。料理へと取り掛かる。
「ここレッドのお気に入りなんだ。楽しみ! でもどういう料理なの、この"たこ焼き"って。タコの切り身があるけど串焼きにするには小さいわね」
「暗黒大陸に伝わる伝統料理らしい。まぁ見ててよ。料理作るのも面白いから」
ハーフオークはゴツゴツした手を素早く動かし、奇妙なくぼみが無数にある鉄板に、油を素早く塗っていく。そして小麦粉などの材料を混ぜた生地とタコなどの具を入れる。焼けてきたら、針のような道具でくるりと生地を回転させ、綺麗な焼き色のついた球形に焼き上げていく。
「へぇ! なんか面白い!」
屋台料理は料理を作る過程を目の前で見れるのも楽しみの一つだ。俺がこの店を気に入ったのも、この店主の流れるような手さばきに見惚れたからだ。
できあがった"たこ焼き"を、木製の皿に盛り付け、その上から黒いソースと鰹節(かつおぶし)などをかける。鰹節(かつおぶし)が熱でひらひらと踊るのも、見てて面白い。
「あふ、あふ……あつ……ん! なにこれ! 美味しい!」
もちろん味が良かったのが何よりのポイントだ。リットも気に入ってくれたようだ。
俺たちが肩を寄せあて、一つの皿から食べているのを見て、ハーフオークの店主は目を細めて笑っていた。
「次に行く場所は私が決めていい? 今度は私が好きなものをレッドに知って欲しいの」
今度はリットが先に立ち、組んだ俺の右腕を優しく引っ張っていく。その力も、腕から伝わるリットの体温も、なんだか俺はとても愛おしく感じていたのだった。